一枚のからみ織には、織機の動きだけでは語りきれない歴史があります。技術を取り入れた人、設備を変えた人、組織が変わっても現場を支え続けた人。その積み重ねが、いま私たちの手元にある「織れる力」をつくってきました。

桐生の知恵を、能登の織物づくりへ

北山の義父・横山勝郎は、桐生産地のからみ織を田鶴浜織物に提案しました。工場長として装置の導入、試運転、試作から生産体制の整備までを担い、1959年には東レの婦人紳士・和装織物課との取引が正式に始まりました。当初、その仕事を担ったのはシャトル織機でした。

経糸を絡ませながら緯糸を通す、からみ織。その繊細な動きを、自動織機による生産として成立させる体制を整えたのが、北山の義父です。伝統的な織りの知恵を、日々の生産につなげる。その工夫が、後に続くものづくりの土台となりました。

志雄織物は1956年に創業し、横山は1961年頃に工場長として赴任しました。スパンデックスを芯にしたカバリング撚糸を応用し、ストレッチ織物を考案しました。1970年以降は、後の世代が設備の工夫と生産の拡大を進めました。からみ織とストレッチ織物。それぞれの布づくりが、技術を考案した人と、それを育てた人々の仕事によって受け継がれています。

1997年、シャトル織機からレピア織機へ

1997年、田鶴浜織物はシャトル織機からレピア織機へ設備を変更しました。現在につながる生産の形は、この転換を経て受け継がれています。

設備が変わっても、糸を見極め、機械を調整し、織りを成立させる仕事は続きます。受け継ぐとは、同じ機械をそのまま残すことだけではありません。その時代の設備で、蓄積してきた技を使える状態にすることでもあります。

2004年、五つの事業がテクノウインへ

旧・岸商事グループの繊維部門には、異なる設備と役割を持つ事業がありました。2004年、次の五つが統合し、テクノウイン株式会社としての歩みが始まります。

  • 志雄織物:ストレッチ織物
  • 田鶴浜織物(旧・金丸織物):からみ織機による織物生産
  • グッドリバー(旧・良川織布):レピア織機による織物生産
  • 北国織物:ウォータージェット織機による織物生産。現在のテクノウイン本社工場
  • 北国繊維:紡績工場

グッドリバーでは、それまでのシャトル織機に代わり、1991年に志雄織物から旧型レピア織機50数台を移設し、新型6台を導入しました。カバリング撚糸機やダブルツイスターも導入し、志雄織物の生産を補う役割を担いました。

からみ織は、その中で受け継がれてきた技術の一つです。田鶴浜織物で培われた知見は、会社の枠組みが変わった後も、織機を扱う人々の仕事の中に残りました。

なお、同じグループにあった北国合繊の仮撚加工事業は、この五事業の統合とは別の歩みをたどっています。

次の世代へ渡すもの

1959年の東レとの取引開始、1997年の設備変更、2004年の統合。節目ごとに生産の形は変わりながらも、布を織るための知恵と経験は、人から人へ渡されてきました。

私たちが受け継ぐのは、その積み重ねです。建物や設備を整え、現場の技術を伝え、次の世代も織り続けられる環境をつくる。そして紗絽を通じて、その技術を新しい使い手へ届けていく。過去から続く「織れる力」を、これからの一反につなげていきます。