この地で織り続ける

STORY

石川県羽咋市。能登半島の南に位置するこの地で、からみ織は織られてきました。

工場の会議室に並んで立つ二人
工場の会議室にて。

01羽咋で受け継いできたもの

HAKUI

能登半島の南に位置する石川県羽咋市。この地の工場には、からみ織を織るための織機と、それを扱う人、そして長い時間をかけて蓄えられた技術があります。経糸を絡ませ、緯糸を通し、織り目を揃える。その動きを繰り返すには、織組織の設計に加え、糸の張力や織機の動きを細かく調整する知見が欠かせません。

同じ設定でも、糸の性質や機械の状態によって、織り上がりは変わります。糸の動きや織り目のわずかな変化を捉え、どこを、どれだけ調整するかを判断する。そうした現場の経験が、繊細なからみ織を安定して織り続ける力を支えています。私が受け継ぐのは、織機という設備とともに、人の手と判断に宿る技術です。

そして、継承には資産を受け取ることと同時に、老朽化した建物や設備を維持し、必要に応じて更新していく責任も伴います。古い織機には、すでに部品の供給が止まっているものもあります。修繕して使い続けるものと、新たに整えるものを見極め、働く人の安全と、これからの生産を支える環境をつくっていかなければなりません。

受け継いだものを大切に使いながら、次の世代が織り続けられる状態へと整えて渡す。技術を守ることと、その技術を支える環境を更新すること。その両方を引き受けることが、この地の「織れる力」を受け継ぐことだと考えています。

瓦が崩れ、下地が露出した建屋の屋根
瓦が崩れ、下地が見えている建屋の屋根。能登半島地震の影響も受け、老朽化が進んでいる。
天井材が剥がれ落ち、下地が見えている工場内
天井材が剥がれ落ちた工場内。修繕して使い続けるか、新たに整えるかを見極める箇所が残る。
  • 織機
  • 職人
  • 織組織の設計
  • 糸のテンション管理
  • 織機調整の知見

02石川県羽咋市から。

ORIGIN

からみ織は、石川県羽咋市、能登半島の南に位置するこの地で織られています。この地域で、からみ織を織る能力を次代へつないでいくことを、私たちは大切にしています。

能登半島の風土と、人々の暮らしの中で育まれてきた、からみ織の技術。曹洞宗が根付くこの地域で、袈裟に用いる織物の技も磨かれてきました。地域の文化と営みに支えられてきた技術を、これからもこの地で受け継ぎ、次の世代へつないでいきます。

震災や豪雨からの復旧の歩みについても、今後このページで紹介していく予定です。

所在

REGION

地域に支えられた技術

羽咋
能登半島

03受け継ぐ

HERITAGE

からみ織の歩みは、1956年、田鶴浜織物で始まりました。北山会長の義父が桐生産地の伝統的な織りの知見を取り入れ、からみ織を自動織機で生産する体制を整えました。創業当初のシャトル織機から、1997年にはレピア織機へ。受け継いだ技を、その時代の設備で織り続けるための工夫が重ねられてきました。

2004年には、田鶴浜織物や志雄織物など、旧岸商事グループの繊維部門が統合し、テクノウインとしての歩みが始まりました。その後、親会社・岸商事の倒産、民事再生という厳しい局面を迎えながらも、北山会長をはじめ、会社と現場を支えた人々の尽力によって、織機と技術は今日まで守られてきました。

いま、私たちは、その歩みを引き継ごうとしています。受け継ぐのは、工場や織機という資産だけではありません。糸を見極め、機械を調整し、繊細な織りを生み出す知恵と経験。そして、老朽化した建物や設備を修繕・更新し、部品の供給が止まった織機にも向き合いながら、これからも織り続けられる環境を整える責任です。

先人が技術を取り入れ、設備を変え、困難の中でもつないできたものを、次の世代が使える形で渡していく。この地で育まれた「織れる力」を未来へつなぐことが、私の考える継承です。

04能登半島地震、そして羽咋の大雨

EARTHQUAKE & RAIN

2024年1月の能登半島地震、そして羽咋を襲った大雨は、長年ものづくりを支えてきた工場の建物にも被害をもたらしました。もともと老朽化が進んでいた建物に、災害による損傷が重なり、現在では一部が崩れ始めています。

織機や技術が残っていても、それらを収める建物の安全が保たれなければ、生産を続けることはできません。地震と大雨を経て、建物の修繕や更新は、先送りのできない課題となっています。からみ織の継承は、こうした工場の現状と向き合うことでもあります。

能登半島地震で焼失・倒壊した市街地
2024年1月の能登半島地震による市街地の被害。写真提供:一般財団法人 消防防災科学センター
大雨で冠水した羽咋の道路と住宅
羽咋を襲った大雨。道路と住宅が冠水した。

05織り続けるための歩み

RECOVERY

建物や設備を更新すること。そして、現場に蓄積された技術を、人から人へと伝えること。からみ織を未来へつなぐには、この二つを速やかに進めなければなりません。

これまでテクノウインは、大手合繊メーカーの受託加工を中心に、織物づくりを続けてきました。求められる品質に応え、難しい織りを形にする。その日々が、今日の技術を育ててきました。一方で、私たちの名前や、その生地を織る人々の姿が、使う方に届く機会は多くありませんでした。

これからは、自分たちの技術を、自分たちの言葉で伝えたい。その生地に触れ、身にまとう方々から、直接価値を認めていただけるものづくりにも取り組んでいきます。そこで得られた収益を、工場の整備と技術の伝承に戻していく。それが、織り続けるための新たな道になると考えました。

能登には、暮らしの中に根付いた禅の文化があります。そして、テクノウインは長年、法衣に用いられる生地を織り、その生地は多くの僧侶の装いを支えてきました。私たちの名前が知られていなくても、織り上げた一反は、祈りや修行の日々とともにありました。

これまでは、織る仕事を通じて、陰ながら禅を支えてきました。これからは、その仕事を大切に続けながら、私たち自身も、布を通じて禅の心を届けていきたい。目の前の仕事に心を尽くし、受け継いだものを次へ渡す。その思いを、これからのものづくりに込めていきます。

紗絽(SHALO)のロゴ。からみ織の組織を円で囲った意匠

紗絽SHALO

この新たな取り組みを形にするのが、紗絽(SHALO)です。からみ織を代表する「紗」と「絽」の名に、受け継いだ技術を未来へつなぐ思いを込めました。長年、法衣の生地を織ってきた私たちが、その技と、能登に息づく禅の心を、日々の暮らしへ届けていきます。

06

PEOPLE

からみ織を支えているのは、織機でも、建物でもなく、人です。守ってきた人、受け継ごうとしている人、日々その難しさと向き合っている人、そして模様を生み出す人。四人の視点から、この技術がどう続いてきたのかを記します。

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