曹洞宗は、坐禅を中心に据える禅宗の一派です。
日本の禅宗には曹洞宗や臨済宗などがありますが、曹洞宗では特に、坐禅そのものを修行として重んじてきました。
奥能登・門前町にある「禅の里」では、その曹洞宗の大本山の一つである總持寺が、なぜこの地に生まれ、どのように発展してきたのか、その歴史が紹介されています。現在の總持寺祖院につながる歩みです。
曹洞宗には、不思議なことに二つの大本山があります。
福井県の永平寺と、現在は横浜市鶴見にある總持寺です。
一つの宗派なのに、なぜ大本山が二つあるのでしょうか。
曹洞宗を日本に伝えた道元禅師は、1244年、越前に永平寺を開きました。
道元禅師が重んじたのが、「只管打坐」――ただひたすら坐ることです。
悟りを得るための手段として坐禅をするのではなく、坐禅そのものを修行とする。
この姿勢は、現在まで曹洞宗の根幹にあります。
それから約80年後。
道元禅師から続く教えを受け継いだ瑩山紹瑾禅師が、1321年、能登に諸嶽山總持寺を開きました。
總持寺には、その翌年、後醍醐天皇から綸旨を受け、「曹洞賜紫出世第一の道場」とされたという伝承があります。
總持寺はここから大きく発展し、瑩山禅師とその弟子たちによって、曹洞禅は全国各地へと広がっていきました。
ここに、永平寺と總持寺の少し異なる性格が見えてきます。
永平寺は、只管打坐を中心とした厳格な修行の場。
一方の總持寺は、禅の教えを社会の中へ広げていく拠点として発展した寺でした。
もちろん、總持寺でも坐禅は曹洞宗の根本です。
また、只管打坐は永平寺だけのものではなく、曹洞宗そのものの根幹をなす考え方です。
しかし歴史をたどると、永平寺が道元禅師の教えと修行を守り、深める中心となったのに対し、總持寺は多くの弟子を育て、その弟子たちが各地へ出ていくことで、曹洞宗を全国へ広げる役割を果たしていきました。
内へ深く掘り下げる永平寺。
外へ広く伝えていく總持寺。
同じ「禅」を根本に持ちながら、それぞれ少し異なる役割を担って発展してきた二つの大本山。
そして、その一方である總持寺が生まれた場所が、ここ能登なのです。
